人が怖い。父が怖い。

人間失格を読んだとき、彼は主人公に強い共感を覚えた。
人への恐怖。父への恐怖。
彼の趣味は筋トレであった。大学に入った時からずっとそれを続け、己の身体的、物理的強度を上げることに憑りつかれていた。
彼の考えでは、自己防衛のために強靭な身体が必要であると。いつ襲われても、狙われても大丈夫なようにと。
普通の人から見れば、かなり奇異で物騒な考えの持ち主であるといえるかもしれない。なぜなら、暴力というのはよっぽどのことがない限り発生しないものであるからだ。
しかし、普通の人にとってのその当然は、彼にとっては全く当然ではなかった。そしてそれは生まれた時からずっとそうであった。
彼にとって人間とは、怒ったり、気に入らないことがあれば当たり前のように容赦なく一方的に暴力を振るうものである。思う通りにならなければ、すぐにかっと拳を振るってきて然るべきものなのだ。
直立不動の状態で、泣くことも許されず、小さな体を小刻みに震わせながら、必死に嗚咽を抑え、頬を張られたり胸を殴られたりするという記憶が20年の時を経てもなお、23歳の彼の脳裏にはしっかりと焼き付けられている。
ほんの僅かな失敗、それこそ、コップの牛乳を少しこぼすというような日常の失敗でさえ、彼にとっては脳天に鉄槌を下され怒鳴られ、恐怖に怯えるに値する罪であった。
身長185センチ、体重100キロの男が幼き彼に暴力によって罰を下すのだ。
そのたびに彼は己の犯した罪のために、この世に生まれたことを憎むほどの恐怖を味わった。
それが彼にとっての日常であり、普通であった。
したがって、人間というものは決して怒らせてはいけない、決して自分のことを嫌わせてはいけないものであるというのは彼にとっては自明の理であった。
そして彼は常に顔に不気味な笑みを浮かべた人間になった。
学校においても常にやれと言われたことを忠実にこなし、誰にも怒られないように、常に非の打ちどころの無い優等生であり続けた。
時を経て、身長175センチ、体重70キロで、外から見ればいわゆるガタイの良い、体育会系タイプの見た目に彼はなった。しかし、逞しく、堂々とした外観とは裏腹に彼の内面には常にとらえがたい恐怖と不安が渦巻いていた。
頼れる、やさしい兄貴という周りからの評価とは裏腹に、彼は常に心の底から怯え、自分の本性を悟られまいと必死に取り繕うのに精いっぱいな人間であった。
人のやさしさを求めながら、それが信じられない。助け合いであると信じたいが、殺し合いだと思っている。
そしてその不安は、どんなに身体を大きく強くしても、拭い去れるどころか、どんどんと大きなものになった。
父が怖い、人が怖い。

もっともっと高いところに本当の父がある。創造主たる父がいる。絶対無条件の愛を注いでくれる父がある。そう信じさせてくれるキリスト教に彼は惹かれる。
また、やもすると、敵か味方か、助け合いか殺し合いか、という二分論的な極端思考に襲われやすい彼には、静かに自分の心を観察して中道をゆけという仏教の教えも助けになるように思われる。
昔は、およそ宗教と名の付くものはすべてまやかしであると断定していた彼も、最近ようやく宗教というものの本質がわかってきたのかもしれない。少なくとも彼のような人間にとっては大きな助けとなるのかもしれない。

この章の最後に、
ベートーベンの第九、歓喜の歌が彼の心の中で鳴り響く。
ゆけ、兄弟よ、汝の道を。
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