AIで仕事は消えないと思う件
今、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「21 Lessons for the 21st Century」という本を読んでいる。ちなみに、英語原版Kindle本として400円くらいで購入した。和訳版だと1,600円くらいするので、非常にお得感がある。英語で書かれた本を買うなら、和訳版ではなくて、英語原版をKindleで買うと非常に安い事があるのでおすすめである。
さて、その本の中で著者はAIの技術革新によって仕事がなくなる可能性についてしきりに述べている。しかもそれは、かつての産業革命の時とは違い、新しい仕事を生み出すことなく、仕事がなくなっていくというのである。
しかしどうだろう。私は一人の経理職のサラリーマンとしての経験から、技術革新だけでは仕事はなくならないのではないかと思う。
今までも技術革新によって、仕事のやり方というのは大きく変わってきた。特に我々世代が実感できるのは、情報技術、つまりITの技術革新による変化であろう。
経理職や事務職の観点から述べれば、かつては何時間もかけて手書きでやっていたような業務のなかには、一人の労働者がPCやIT技術を駆使して数分で終わらせられるようなものもある。
かつてと比べて、いわゆる、仕事の密度というものが非常に高くなり、昔は10人で処理していたような量の情報をたった1人で処理しているような感覚である。これは、頭がおかしくなって当然であるが、その話はまた別の機会にしよう。
ところで、こういったIT技術の革新は、私のような経理職や事務職にとっては、PCを使いこなせない労働者の生産性に大きな制限をかけることになった。平たく言えば、「PCが使えない=生産性が低い」、という状況になった。
ところがどっこい、それならば、PCが使えない人が職を失ったかというと、そういうわけでもない。
むしろ、PCを使いこなせる生産性の高い若い社員のほうが、ろくにエクセルも使えない生産性の低い中高齢社員よりも圧倒的に給与が低い、というような現象がまかり通っている。
このような事象は、読者の労働者同士諸君にも身に覚えがあるのではないかと思う。私自身、身の回りに、あまりPCの使い方が分からないがために生産性が低いのに、中高齢であるために高給取りである、というような人は前の職場にも今の職場にもいる。
つまるところ、必ずしも経済的に合理的な方向で社会は回っているとは限らないのである。