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ハイデルベルクの隠れ名所、聖なる山「ハイリゲンベルク」探検記

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 ドイツでもっとも美しい街の一つとして名高いハイデルベルク。  美しき城と川と橋と旧市街、そしてドイツ最古の大学ハイデルベルク大学があることで有名な街です。  この石橋を自転車で通るとガタガタガタガ夕となって、なかなか愉快です。  旧市街にあるハイデルベルク大学中央図書館は、なんと週七で深夜1時まで空いています。   さて、そんなハイデルベルクは見どころが旧市街地区(Altstadt)にうまくまとまっていて、観光しやすい街であるといえます。  観光案内サイトなどでもハイデルベルクの観光として定番なのはビスマルク広場から真っ直ぐと旧市街の真ん中を城の方へ伸びていく目抜き通り(Hauptstraße)でしょう。  しかし、そんなありきたりな、古くて美しい街並みを楽しむ系の観光に飽き足らない方のために、この記事では、定番スポットではなく、ハイデルベルク大学に一年間交換留学をした私だからこそおすすめできる、知る人ぞ知る隠れ名所をご紹介いたします。  それはずばり「Heiligenberg (ハイリゲンベルク)」という、ネッカー川を挟んでハイデルベルク旧市街の北側にある小さな山です。  一見なんの変哲もない、森に囲まれたただの丘のような山にみえます。  しかし、その森の中には、紀元前4世紀ごろケルト人が築いた要塞跡、誰がいつ何のために掘ったのか不明な直径3、4メートル深さ55メートルの古い穴、10世紀に建てられた修道院の廃墟、古代ローマ人が建てたマーキュリー神殿の跡、ナチスドイツ時代に造られた巨大な石造りの野外劇場などなど、冒険心を掻き立てる様々な秘所が隠されているのです。 いざ、哲学者の道へ  まずは、川岸北側からハイリゲンベルクの麓の方にある哲学者の道( Philosophenweg )を目指そう。  ネッカー川北側のハイリゲンベルク麓からずっと伸びるこの哲学者の道からは城と橋と旧市街が一望できる。下の写真もそこから撮ったものである。  さて、多くの観光情報サイトではここで情報が終わる。しかし我々はそのままこの山の上を目指す。というわけで、ここからは探検記である。2018年5月26日に私は同じくハイデルベルク...

Hamburg旅行記~ビートルズの足あとをたどって~

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一年間のドイツ留学最後の目的地は自由ハンザ都市ハンブルク。そこで、まだ無名であった頃のビートルズが下積み時代を過ごした場所をめぐった。 ドイツ南西部のハイデルベルクより、深夜1時発の列車にゆられること約7時間。朝の8時に私はハンブルク中央駅に到着。そして、歓楽街、レーパーバーンに向かった。 このGroße Freiheit通りを中心に、ビートルズゆかりの場所がいくつかある。路上にはゴミが散乱している。前日の夜は相当賑わったようである。 この通りの入口はBeatles-Platzと呼ばれ、5人のビートルズのシルエットをかたどった作品がある。 夜のGroße Freiheit通りは、この様に賑わっている。 ビートルズがかつて演奏していたKaiserkellerやINDRAでぜひ、ロックを聞きたいと思ったが、その日のKaiserkellerの演目はDJのディスコ音楽で、INDRAにいたっては閉まっていた。残念。 ビートルズがよく利用したという酒場、Gretel & Alfons。店内にはビートルズの写真がいくつか飾られていた。良い雰囲気である。 ビートルズが寝泊まりしていた映画館Bambi Kino。今はもう営業していないようだ。「ここにビートルズが住んでいた 1960」とある。写真にピート・ベストが写っている。 ポールが放火未遂容疑でお世話になった警察署。かっこいいデザインである。 ジョンの有名な写真が撮影されたJäger-Passage。下が現在 (2018年7月) の写真。 Passageというくらいだから、昔は通り抜けができたようだが、今はご覧のように塞がっている。グーグルマップでの表記は「John Lennon, Rock 'n' Roll Doorway」。 そこでもちろん、ジョンと同じポーズで写真を撮った。感動した。 ビートルズの町として知られ、夜には今でも本物のロックンロールが通りに流れるリバプールと比べ、...

学生時代ジョン・レノンが通ったパブ「Ye Cracke」

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 学生時代にジョン・レノンはよく学校近くの行きつけのパブでブラックベルベットと呼ばれるギネスビールとサイダー (シードル) を半々で割った飲み物を好んで飲んでいた、という話を聞いたことがないだろうか。私はこの情報をインターネットにて入手し、ジョンが好きであったというこの酒を是非飲まんと、今春執り行ったリバプール観光初日の夜に実際にそのパブを訪れた。  ジョン・レノンの母校リヴァプール・カレッジ・オブ・アートのすぐ近くに、学生時代彼がよく通っていたいうパブ、「Ye Cracke」はある。典型的な古き良きイギリスのパブで、店内は薄暗く、程よく狭く、そして木のぬくもりを感じる。店内にはビートルズの写真もいくつか飾ってある。  カウンターに向かうなりすぐに私はブラックベルベットを1パイント注文した。すると顔色の良い女将さんが「ジョンレノンが飲んでたからね?」とすこしうんざりした様な顔で言う。「本当はメニューにないんだけど、つくってあげる」と言ってパイントグラスにサイダーとギネスを注ぐ。壁に貼ってあるメニューをみると、確かにどこにもブラックベルベットとは書いていない。注ぎ終わると「ジョンがこんなの飲んでたわけないわよ」と言いながらそれを私に差し出した。  それはどういうことなのか、と戸惑ったがまずはブラックベルベットを一口飲んでみた。何ともいえない味だが、これならわざわざ割ったりせずにギネスビールを単体で飲んだ方がおいしいと私は思った。いや、折角のギネスが勿体ないとすら思った。  グラス半分まで飲んでから、女将に、ジョンレノンがこれを飲んでいたわけがないというのはどういう事なのか尋ねた。すると「ジョンが学生だった頃、この店ではギネスはタップじゃなくてボトル販売だったの。貧乏な学生だった彼がこんな高い飲み物を好んで飲んでいたなんて絶対にありえない」と強い語調で断言し、さらに「どこからこんなデマが流れたのかしらね」と首をかしげる。  この店にはよく、このデマにすっかり騙された観光客が訪れてはブラックベルベットを頼むようである。その観光客の国籍を尋ねると「アメリカ人。アメリカ人が断トツで多いわ」と即答であった。このことから、デマは日本だけでなくどうやら世界規模で流通しているようである。  では、ジョンは本当はここでいったい何を飲んでいたのだろ...

東欧を寝台列車で旅行してみた!(後編)モルドバ、沿ドニエストル、ウクライナ

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 2018年2月20日から2018年3月15日までの18日間の日程で私は同じくドイツに留学中の たいら先輩 と二人でハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、沿ドニエストル 、ウクライナの7つの国と地域を視察した。以下はその旅行記の後編である。前編は こちら 。 5. モルドバ、キシナウ (Chişinău):3/3~3/5  さて、我々はルーマニアのブカレストにて3月2日の夜19時15分発の列車に乗り込み、約14時間にも及ぶ夜行寝台列車での移動を終え、3月3日の朝9時についにモルドバ共和国の首都キシナウに到着し、旧ソビエト連邦領に入った。その時のBGMはもちろんBack in the U.S.S.R. である。写真はキシナウ中央駅である。少しばかり一橋大学の兼松講堂に似ている。  キシナウにて我々は軍事博物館に行った。そこで一番私の注意を惹いたのは1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故についての展示であった。事後発生後、被害拡大を阻止するため多数の作業員が事故現場に送り込まれたが、当時ソ連の一員であったモルドバからも人員が送られた。そこは広さ8畳程の小さな一室であったが、チェルノブイリ原発事故に関する様々の写真や資料が壁一面に貼ってあった。初期対応に当たった作業員たちをとらえた写真も多数あり、致死的レベルの放射能で汚染された現場でマスクをつけただけの男たちが緊迫の表情を浮かべ、真に必死の作業を行っていた。彼らの多くは放射線障害で死亡する。現場に最初に辿り着いた消防隊隊長の帰還後の写真もあり、彼はベッドの上で放射線障害に苦しんでいた。衝撃の8畳展示室であった。 6. 沿ドニエストル、ティラスポリ (Тирáсполь):3/4 (キシナウより日帰り観光)  この度の東欧周遊が「 7ヵ国」ではなく「 7つの国と地域」である理由は全くこの沿ドニエストルにある。この地域は国際的には独立国家とは認められておらず、モルドバ共和国の一部であるということになっている。しかし実際は事実上の独立状態にあり、独自の政府を有している。1990年に独立を宣言した。  写真にあるのがこのトランスドニエストルの「国章」で、ソビエト連邦の紋章の流れを汲んでいる。硬貨にもその国章が刻印されている。国旗もソ...

東欧を寝台列車で旅行してみた!(前編)ハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニア

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   2018年2月20日から2018年3月15日までの18日間の日程で私は同じくドイツに留学中の たいら先輩 と二人でハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、沿ドニエストル 、ウクライナの7つの国と地域を視察した。以下はその旅行記の前編である。 1. ハンガリー、ブダペスト (Budapest):2/20~2/22 初日はフランクフルトからブダペストまで航空機で移動した。ハンガリーの物価はドイツより若干安いか、同じくらいである。ブダペストの建築はどれも壮大な規模のものばかりであり、公共交通にトロリーバスが加わることと、トラムの車両が旧式であること以外はあまりドイツと変わらない印象を受けた。 22日夜にこの寝台列車でセルビアはベオグラードへと旅立つ。  停車中の車内は明かりが消され、薄暗い。この廊下の左側に3段ベット2台を備えた6人部屋がずらりと並ぶ。  乗客は非常に少なく、我々の他には隣の隣に若者4人組がいただけである。この4人組がなかなか面白い。廊下にビール瓶を転がしながらわいわいと賑やかであった。ガタンと大きな物音がするので廊下を見るとそこで側転をしていた。そうかと思うと、しばらくして我々の部屋を訪ねて来ては「茶色い財布を見なかったか」と訊く。それは非常に大切なものであるから、もし発見してくれたら報酬として60ユーロを払うという。後に車掌が切符確認に来た際には切符を無くしたので見逃して欲しいと嘆願していた。暫く話し込んだのち、車掌が許すと「あなたは私の救世主だ!」と感謝していた。始終そんな調子であった。 2. セルビア、ベオグラード (Београд):2/23~2/24  8時間の列車移動を終え、ベオグラード駅に着いたのは朝の6時半頃であった。駅を出るとタクシーのおじさん達が「Taxi?」と言いながら群がって来る。彼らは外国人の金を目当てにしたぼったくりタクシーである。気を付けなければならない。  ベオグラードには要塞跡があり、そこを我々は訪れた。    要塞外苑に面白いベンチがあった。何が面白いのかといえばその危険な立地である。このベンチに辿り着くには一枚目の写真中央右側に写っている角度30度ほどの通路を登らなければいけない...