あれは2017年の9月、ドイツ留学二日目の昼すぎだった。
大学の広場にメルケル首相がやってきて演説をすると知り、ひとり市電とバスを乗り継いで観に行った。
美しき石造りの建物に囲まれた石畳の広場は人々で満たされていた。若者も老人もいた。
首相の登場をいまかいまかと待ちわびていると、ついに後ろの方で歓声が沸き起こる。
振り返ると、スペースをつくるために赤いテープをもったスーツ姿の護衛たちに囲まれながら、メルケル首相が満員の広場の真ん中を進んできた。
私はてっきり、ステージの横か後ろから出てくるものと思っていたので、歓喜に沸く観衆の中、それも自分から2メートルも離れていないところをメルケル首相が通ったのには驚いた。
それから首相は登壇し、司会とのいくつかのやりとりをした後、演説が始まった。
演説を聴いていると、目の前の中年男性三人組が「Grenzen dicht Asylwahn stoppen (国境を閉ざせ 難民狂気をとめろ)」と書かれた横断幕を壇上から見えるように高々と掲げた。
さらに、メルケル首相の鼻がピノキオのように伸びている加工写真も掲げていた。
彼らはメルケル首相の移民受け入れ政策に抗議しているようだ。
しばらくするとこんどは数人の若者集団がやってきて、その三人組の横断幕を遮るようにして「Rassismus ist keine Alternativ (人種差別は選択肢にない)」という横断幕を掲げた。
この若者たちは移民受け入れを支持しているようである。
しかし、この二つのグループになんら、いざこざや衝突がなかった。罵りあうということも一切していなかった。
演説が終わると、退散する人々の中をひとりの若者が籠をぶら下げながら、「トマトはいかがですか~」と言いながら練り歩き、笑いを誘っていた。食べるためでなく、投げるためのトマトである。
彼は政策に賛成と反対のどっちなのだろう。
この日、私はドイツの市民としての姿勢を感じた気がする。
前回の記事『「社会人」という言葉にみる日本の異様性。人は生まれたときから社会人では?』からの続きであるが、
社会人であるまえに市民であるべき
との考えが漠然と浮かぶ。
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