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京大早大共同開発の古代エジプトビールレビュー

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 早稲田大学にある大隈講堂すぐ側に「 Uni.Shop & Cafe 125 」という名のオフィシャルグッズショップ&カフェがある。ガラス張りの外観に木製のテラスという、なんともキラキラとした装いと雰囲気に包まれていて、近寄り難い。よって、私はそこを利用したことは今までなかった。  しかし先日、その店先にて興味をそそる看板を目にした。京都大学と早稲田大学の研究所が共同開発した古代エジプトビールとある。ドイツに1年間洋行し、彼の地で本場のビールを味わったからと云って、大して詳しくもないのに ビールレビュー なぞもやっている自称ビールマニアたる私は、勿論そのビールを試さないわけにはいかなかった。  とある平日の夜、恐る恐るガラス張りのドアを開けてUni.Cafe125のカウンターに向かった。すると、メニューにはホワイトとルビーの二種類の古代エジプトビールがある。まるでポケモンのようだ。ちなみに私が一番好きなポケモンはコイキングである。ポケモンというのはなかなか酷い話だ。出会っていきなり半殺しにされてボールに閉じ込められる。そしてやっと出られたかと思うと、「目の前のポケモンを殺せ」と、理不尽な要求をされる。そんな脅しに屈せずにひたすら「はねる」の手段にて対抗するコイキングの反骨精神がかっこいい。  さて、ルビーとホワイト、両者の違いについてはさっぱり分からなかったが、ルビーは売り切れとのことでホワイト一択、事なきを得た。しかし、出てきたビールは意表を突くものであった。  古代エジプトビールなどと云うものだから、私はてっきり、土器の入れ物に常温で出てくるのだろうと思っていた。しかし出てきたのはキンキンに冷えた茶色いガラス瓶であった。  あやしくなりはべりぬ、と思った。しかし、そこは現代日本人の嗜好に合わせたのだろうと自分に言い聞かせた。飲んでみなければわからない。  味は、ピルスナービール、つまり所謂普通のビールそのものであった。  これは忌忌しき事態であると思ってネットで調べてみた。すると、 京都大学のウェブサイトページ にきちんと太字で 【ご注意】ルビーナイルもホワイトナイルも古代エジプトビールを再現、復刻したものではありません。 と、書いてあった。  「古代エジプトビール」とは私の見間違いなのだろうか...

Hamburg旅行記~ビートルズの足あとをたどって~

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一年間のドイツ留学最後の目的地は自由ハンザ都市ハンブルク。そこで、まだ無名であった頃のビートルズが下積み時代を過ごした場所をめぐった。 ドイツ南西部のハイデルベルクより、深夜1時発の列車にゆられること約7時間。朝の8時に私はハンブルク中央駅に到着。そして、歓楽街、レーパーバーンに向かった。 このGroße Freiheit通りを中心に、ビートルズゆかりの場所がいくつかある。路上にはゴミが散乱している。前日の夜は相当賑わったようである。 この通りの入口はBeatles-Platzと呼ばれ、5人のビートルズのシルエットをかたどった作品がある。 夜のGroße Freiheit通りは、この様に賑わっている。 ビートルズがかつて演奏していたKaiserkellerやINDRAでぜひ、ロックを聞きたいと思ったが、その日のKaiserkellerの演目はDJのディスコ音楽で、INDRAにいたっては閉まっていた。残念。 ビートルズがよく利用したという酒場、Gretel & Alfons。店内にはビートルズの写真がいくつか飾られていた。良い雰囲気である。 ビートルズが寝泊まりしていた映画館Bambi Kino。今はもう営業していないようだ。「ここにビートルズが住んでいた 1960」とある。写真にピート・ベストが写っている。 ポールが放火未遂容疑でお世話になった警察署。かっこいいデザインである。 ジョンの有名な写真が撮影されたJäger-Passage。下が現在 (2018年7月) の写真。 Passageというくらいだから、昔は通り抜けができたようだが、今はご覧のように塞がっている。グーグルマップでの表記は「John Lennon, Rock 'n' Roll Doorway」。 そこでもちろん、ジョンと同じポーズで写真を撮った。感動した。 ビートルズの町として知られ、夜には今でも本物のロックンロールが通りに流れるリバプールと比べ、...

0.5L缶37円のビールなど、ドイツのビール数種類をレビュー

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 帰国までに近所のスーパー(REWE)のビールを全て試し、このブログにそのレビューを載せんと思っていたけれども、難しい。  味のレビューなんて不可能だろう。どの味が何由来でどの形容詞で表されるべき味であるのか判然としない私には、ホップの苦みがどうの、モルトの香りがどうの、麦芽の風味がどうのとか、そういったものは正直に言うと全く分からない。  これを読んでいる多くの同士諸君もホップ、モルトや麦芽がどの様な味であるか分からないだろう。ことさらそれが醸造された後にはどんな味になるのか何て以ての外だ。ネットにあるレビューだって本当にその著者がそれらの味を的確に認知したうえで評定を下しているのかどうか甚だ疑問である。書いたもの勝ちで適当に味を形容していないとも限らない。  以下に記す私によるビールレビューもその例に漏れず、適当に書いているものである。 0.5L缶37円の「Parlenbacher Pils」 日本の水より安いビールがドイツにはある。ドイツ大手スーパーマーケットにて購入した激安ビール「Parlenbacher Pils」は500ミリリットル缶当たり0.29ユーロ(約37円)という破格の値段。  しかしこのビールは他の多くのドイツビールとは違い、悠久の歴史を有しているという訳ではない。このビールはドイツ大手スーパーマーケット「Lidl」の自主企画商品、つまりプライベートブランド。  普通のビールだ。 満面の笑みを浮かべたラベル「Rotohaus Hefeweizen」  かなり濁った黄色のビール。濾過していない白ビールである。あまり苦くない。 暗い色の白ビール「Erdinger Dunkel Weißbier」  このビールにおいてはグラスに注いだ状態の写真は撮らなかった。というのも、ここドイツの慣習に倣い、日差しの強い昼下がりに半裸で芝生に敷いたブランケットに寝ころび日光浴をしながら飲んだからである。 バイエルンのビール「Bayreuther Hell」  その名の通り明るい色のビール。 ケルンのビール「Früh Kölsch」  Hell、Pilsner、...

超簡単★塹壕飯 (イギリス流)『コーンビーフ・ステュー 』のレシピ ♫

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クックパッドにて簡単な料理レシピを探したが、タイトルや説明文なんかにある♪(音符)やら☆(星)やら♡(ハート)が目に入るばかりで、どうもしっくりと来る様なものがなかった。 どうも、料理を趣味として嗜む人と、私の様にただそれを栄養源として見る人の間には「簡単な料理」の認識について大きな隔たりがある様だ。 しかしそんな中、私は遂に追い求めていた真の簡単実用料理を発見した。それが以下の、第一次世界大戦中の塹壕内でのイギリス兵の調理の様子を再現した動画にある「コーンビーフ・ステュー 」である。 以下がそのレシピである 材料: ・ビスケット ・HPソース ・コーンビーフ ・じゃがいも ・人参 ・玉ねぎ つくり方: 1. 野菜を、なるべく早く火が通るように出来るだけ小さく切り刻み、鍋に入れる。 2. コーンビーフと、増粘剤としてビスケットを砕いて鍋に入れる。 3. 水を加える。 4. 鍋を火にかけ、具材に火を通す。 5. 仕上げにHPソースをかける。 おわり 一つ不可解なことがある。動画内では鍋を火にかける前に水を具材と共に鍋に入れた。しかし、鍋を火にかけて具材を調理している場面(2分44秒)で語り手が「And eventually, pouring in some water(そしてやがて水を加える)」と云う。水はもう既に入っているのにも関わらずにである。しかし、語り手の云う事の文脈から考えると、水なしで具材を炒めた後に水を加えるのが正しいともとれる。そこはどうも不明瞭である。 実際につくってみた さて、戦場で出来るのだから一般家庭でも出来るだろう。実際にやってみた。 材料は、じゃがいも、人参、ネギ、水、コーンビーフを使った。動画のレシピと異なるが、「手に入ったもので何とかする」というのがこの塹壕飯の調理思想であるので問題ないだろう。 近所のスーパー(REWEと呼ばれる)のじゃがいもの最小販売単位が2.5キロであったので、大量のじゃがいもを使用せざるを得なかった。まず野菜を水で煮込み、芯まで火を通す。 野菜に火が通ったら、コーンビーフを入れて混ぜた。動画内において、コーンビーフは火を通し過ぎるとピンクの気持ち悪いものになるとあったので最後に足した次第である。 以下がその完成写...

学生時代ジョン・レノンが通ったパブ「Ye Cracke」

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 学生時代にジョン・レノンはよく学校近くの行きつけのパブでブラックベルベットと呼ばれるギネスビールとサイダー (シードル) を半々で割った飲み物を好んで飲んでいた、という話を聞いたことがないだろうか。私はこの情報をインターネットにて入手し、ジョンが好きであったというこの酒を是非飲まんと、今春執り行ったリバプール観光初日の夜に実際にそのパブを訪れた。  ジョン・レノンの母校リヴァプール・カレッジ・オブ・アートのすぐ近くに、学生時代彼がよく通っていたいうパブ、「Ye Cracke」はある。典型的な古き良きイギリスのパブで、店内は薄暗く、程よく狭く、そして木のぬくもりを感じる。店内にはビートルズの写真もいくつか飾ってある。  カウンターに向かうなりすぐに私はブラックベルベットを1パイント注文した。すると顔色の良い女将さんが「ジョンレノンが飲んでたからね?」とすこしうんざりした様な顔で言う。「本当はメニューにないんだけど、つくってあげる」と言ってパイントグラスにサイダーとギネスを注ぐ。壁に貼ってあるメニューをみると、確かにどこにもブラックベルベットとは書いていない。注ぎ終わると「ジョンがこんなの飲んでたわけないわよ」と言いながらそれを私に差し出した。  それはどういうことなのか、と戸惑ったがまずはブラックベルベットを一口飲んでみた。何ともいえない味だが、これならわざわざ割ったりせずにギネスビールを単体で飲んだ方がおいしいと私は思った。いや、折角のギネスが勿体ないとすら思った。  グラス半分まで飲んでから、女将に、ジョンレノンがこれを飲んでいたわけがないというのはどういう事なのか尋ねた。すると「ジョンが学生だった頃、この店ではギネスはタップじゃなくてボトル販売だったの。貧乏な学生だった彼がこんな高い飲み物を好んで飲んでいたなんて絶対にありえない」と強い語調で断言し、さらに「どこからこんなデマが流れたのかしらね」と首をかしげる。  この店にはよく、このデマにすっかり騙された観光客が訪れてはブラックベルベットを頼むようである。その観光客の国籍を尋ねると「アメリカ人。アメリカ人が断トツで多いわ」と即答であった。このことから、デマは日本だけでなくどうやら世界規模で流通しているようである。  では、ジョンは本当はここでいったい何を飲んでいたのだろ...

東欧を寝台列車で旅行してみた!(後編)モルドバ、沿ドニエストル、ウクライナ

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 2018年2月20日から2018年3月15日までの18日間の日程で私は同じくドイツに留学中の たいら先輩 と二人でハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、沿ドニエストル 、ウクライナの7つの国と地域を視察した。以下はその旅行記の後編である。前編は こちら 。 5. モルドバ、キシナウ (Chişinău):3/3~3/5  さて、我々はルーマニアのブカレストにて3月2日の夜19時15分発の列車に乗り込み、約14時間にも及ぶ夜行寝台列車での移動を終え、3月3日の朝9時についにモルドバ共和国の首都キシナウに到着し、旧ソビエト連邦領に入った。その時のBGMはもちろんBack in the U.S.S.R. である。写真はキシナウ中央駅である。少しばかり一橋大学の兼松講堂に似ている。  キシナウにて我々は軍事博物館に行った。そこで一番私の注意を惹いたのは1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故についての展示であった。事後発生後、被害拡大を阻止するため多数の作業員が事故現場に送り込まれたが、当時ソ連の一員であったモルドバからも人員が送られた。そこは広さ8畳程の小さな一室であったが、チェルノブイリ原発事故に関する様々の写真や資料が壁一面に貼ってあった。初期対応に当たった作業員たちをとらえた写真も多数あり、致死的レベルの放射能で汚染された現場でマスクをつけただけの男たちが緊迫の表情を浮かべ、真に必死の作業を行っていた。彼らの多くは放射線障害で死亡する。現場に最初に辿り着いた消防隊隊長の帰還後の写真もあり、彼はベッドの上で放射線障害に苦しんでいた。衝撃の8畳展示室であった。 6. 沿ドニエストル、ティラスポリ (Тирáсполь):3/4 (キシナウより日帰り観光)  この度の東欧周遊が「 7ヵ国」ではなく「 7つの国と地域」である理由は全くこの沿ドニエストルにある。この地域は国際的には独立国家とは認められておらず、モルドバ共和国の一部であるということになっている。しかし実際は事実上の独立状態にあり、独自の政府を有している。1990年に独立を宣言した。  写真にあるのがこのトランスドニエストルの「国章」で、ソビエト連邦の紋章の流れを汲んでいる。硬貨にもその国章が刻印されている。国旗もソ...

名詞の性と格にみるドイツ語の難しさについての英語および日本語との比較考察

ドイツ語と同じく西ゲルマン語群に属する言語である英語の知識があればドイツ語も比較的簡単に覚えられる。こんな話を聞いたことのある私は日本の大学での初日、ドイツ語クラスの日本人教授に質問した。すると教授は「ドイツ人にとっては英語は比較的簡単に覚えられる言語だが、逆はわからない」と意地の悪そうな笑みを浮かべながら答えた。私はそんなはずはないと思った。ある言語が他の言語より一方的に難しいという様なことはない、と考えていたからである。しかし、実際にドイツ語を学習し始めてから私はその考えを改めざるを得なくなった。そうして今ではこう思うようになった。 ドイツ語は英語に様々の不要無益な要素を足して複雑にしたような言語である 歴史的には英語とドイツ語はもともと同じ言語であったものが分かれたものである。その過程において英語は様々の要素を簡素化したのに対し、ドイツ語は古い要素を頑なに固持し続けた。つまり、歴史的には英語がドイツ語から様々の複雑な要素を引いた言語である。では具体的に何がドイツ語を英語よりも難しい言語にしているのか。以下はまだまだ勉強の足りない私による拙論であるが、是非ご一読いただきたい。 独語は名詞に女性、男性、中性の三種類がある ドイツ語の名詞には女性、男性、中性の三種類がある。名詞に性別があるのである。以下が例である。der, die, dasというのは冠詞である。詳しくは後述する。 男性名詞:der Stuhl (椅子), der Apfel (林檎), der Brunnen (井戸) 女性名詞:die Katze (猫), die Mütze (帽子), die Sonne (太陽) 中性名詞:das Auto (自動車), das Wasser (水), das Kind (子供) この名詞の性というのは面白いもので、必ずしも生物的な性と一致するとは限らない。例えば上記の例の最後 das Kind はそれが女の子であっても男の子であっても中性である。 名詞の性は基本的に丸暗記 この名詞の性で一番厄介なのはどれがどの性であるかは基本的には丸暗記するしかないという点である。詳しくはこちらのウェブサイト「 名詞の性・数・格 」に載っているが、規則があるものもあるにはある。例えば -tät...

東欧を寝台列車で旅行してみた!(前編)ハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニア

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   2018年2月20日から2018年3月15日までの18日間の日程で私は同じくドイツに留学中の たいら先輩 と二人でハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、沿ドニエストル 、ウクライナの7つの国と地域を視察した。以下はその旅行記の前編である。 1. ハンガリー、ブダペスト (Budapest):2/20~2/22 初日はフランクフルトからブダペストまで航空機で移動した。ハンガリーの物価はドイツより若干安いか、同じくらいである。ブダペストの建築はどれも壮大な規模のものばかりであり、公共交通にトロリーバスが加わることと、トラムの車両が旧式であること以外はあまりドイツと変わらない印象を受けた。 22日夜にこの寝台列車でセルビアはベオグラードへと旅立つ。  停車中の車内は明かりが消され、薄暗い。この廊下の左側に3段ベット2台を備えた6人部屋がずらりと並ぶ。  乗客は非常に少なく、我々の他には隣の隣に若者4人組がいただけである。この4人組がなかなか面白い。廊下にビール瓶を転がしながらわいわいと賑やかであった。ガタンと大きな物音がするので廊下を見るとそこで側転をしていた。そうかと思うと、しばらくして我々の部屋を訪ねて来ては「茶色い財布を見なかったか」と訊く。それは非常に大切なものであるから、もし発見してくれたら報酬として60ユーロを払うという。後に車掌が切符確認に来た際には切符を無くしたので見逃して欲しいと嘆願していた。暫く話し込んだのち、車掌が許すと「あなたは私の救世主だ!」と感謝していた。始終そんな調子であった。 2. セルビア、ベオグラード (Београд):2/23~2/24  8時間の列車移動を終え、ベオグラード駅に着いたのは朝の6時半頃であった。駅を出るとタクシーのおじさん達が「Taxi?」と言いながら群がって来る。彼らは外国人の金を目当てにしたぼったくりタクシーである。気を付けなければならない。  ベオグラードには要塞跡があり、そこを我々は訪れた。    要塞外苑に面白いベンチがあった。何が面白いのかといえばその危険な立地である。このベンチに辿り着くには一枚目の写真中央右側に写っている角度30度ほどの通路を登らなければいけない...

スイス、チューリッヒ視察

去年のクリスマスもやはりかれこれ5年連続くらいでサンタクロー スは来なかったが、 私は同じくハイデルベルク大学留学中の たいら先輩 とスイスへ行っ た。 時は12月24日の朝。ハイデルベルク中央駅にて、バーデン・ ヴュルテムベルク州内乗り放題チケット (Baden-Württemberg Ticket) を購入した我々はスイス国境のすぐ北にある街コンスタンツを目指して列車に乗 り込んだ。 この乗り放題チケットは1人24ユーロ、 そして最大5人まで一人につき6ユーロで追加できる優れものであ る。2人で利用すると一人あたり15ユーロと破格であるが、 残念ながら乗れるのは鈍行列車のみである。 ECやらICEやらICなどの特急には乗れない。 というわけでスイス国境まで片道4時間の列車旅である。 その日はクリスマスイブであり、 どの車両もガラガラに空いていた。 コンスタンツに昼前に着いた我々はまず、国境を超えにいった。 コンスタンツ中央駅から南に歩くと国境はすぐそこである。 「Zoll」と書かれた看板のある検問所。 特に厳重な警備があるわけではなく、 たまに車両が停められてはトランクの中を見られているだけである 。 そこを何事もなく歩いて通り過ぎスイスに入国した。 するとなんとそこには無料の公衆トイレがあった。 ドイツにおいて無料の公衆トイレなどというものを見たことのなか った我々は早速それを使った。使い心地は良かった。 さて、そのまま道をスイス側に1分ほど進んだところで、 特に見るべきものはないと気付いたのでドイツに引き返す。 お昼ご飯にはベトナムラーメン「フォー」を食べたいと思い、 アジア軽食屋を探す。 アジア軽食屋は見つかったが、閉まっていた。 仕方がないのですぐ隣のケバブ屋でドナーケバブを買い、 バス乗り場に。 これからヨーロッパを代表する激安長距離バスFlixbusでチ ューリッヒに行く。 それに乗ってバス乗り場を出る際、 これからバス乗り場に入らんとするまた別のFlixbusがしき りにこちらに向かってクラクションを鳴らし、 我々のバス後方を指差す。 見るとバス側面のトランクルーム扉が開いていた。 扉が90度の角度で上に開いている状態で...

アプリ開発計画中止のお知らせ

実は私は極秘裏にアンドロイドアプリの開発計画を進めていた。 きっかけは、以前、塾講師バイトをしていた頃、塾内に2020年から小学校でプログラミング教育が必修になるというポスターが貼られているのを見たことである。 それ以来私は、プログラミング教育を受けていない者は将来の競争においてもしかしたら劣勢に立たされるのではないかと危機感を抱き、プログラミング技術の習得を目指すことにした。 やるからには一儲けしたいと思った私は、大ヒットアプリを制作することにした。 私の抱いていた構想は「電信アプリ」である。 モールス信号と呼ばれる、音の長短の組み合わせの信号により情報を伝達する、エジソンが生きていたくらいの時代の最新情報伝達技術をアプリで再現しようとしたのである。 具体的に述べると、画面に大きなボタンを設けて、それを押すと音が鳴り、離すと音が止むという至って簡易なものである。 私は色々とアンドロイドアプリの制作方法について調べ、四苦八苦しながらも何とかその開発を成し遂げんとしていた。 ところが本日、ふとグーグルストアにて「Morse Code」と検索をかけてみると、私の構想とほぼ同じようなアプリが4つほど出てきた。 以上の事情に鑑み、アプリ開発計画は即刻中止となった。 非常に残念なことである。 まあ、また気が向いたらこのブログの公式アプリでもつくることにしよう。

我が愛車シルバーカルクホフ号故障

去年10月ドイツ鉄道主催の放置自転車競売にて49ユーロ(約6700円)という破格で入手した我が愛車「シルバー・カルクホフ」号。 銀色の見た目で、フレームにはドイツの老舗自転車製造会社「Kalkhhoff」の名が書いてある。 変速機は装備されておらず、常に重すぎるか軽すぎるかどちらかの、丁度良い加減の固定ギア比。 年季の入った代物で、漕ぐたびにガチャガチャ音がする。 一生懸命に漕いでも、後ろからもっと性能の良い自転車にどんどん抜かれていく。 そんな我がボロ自転車であるが、遂に故障が発生した。 一昨日、授業が終わり、夜のハイデルベルク城を平生の様に眺めながら家を目指してシルバー・カルクホフ号に乗っていると、何やら調子がおかしい。 後輪がリズムを刻んでいる。 はてなと思い自転車を降りて後輪を見るとぺしゃんこになっている。 いつもは自転車と一緒にをガタゴトガタゴト振動しながら渡る古い石橋を仕方なく押して渡りながらさてどうしたものかと考えた。 その日は雨だったので晴れた次の日空気を入れた。 6時間後見てみるとまたタイヤが潰れていた。 バルブの故障かと思い、修理工具箱から新品のバルブを見つけ出し、それと交換し、また空気を入れた。 次の日見るとまたタイヤが潰れていた。 これは困ったと思いながら、念のためまた空気を入れた。 次の日見るとタイヤは潰れていなかった。 そして、そのまた次の日もタイヤは潰れていなかった。 いったいどこが悪かったのか、よくわからない。 バルブをきつく締め過ぎたのだろうか。 まあ、直ったので良しとしよう。

ドイツの道端で宗教勧誘を受けた

昼からの授業に向かう途中、自転車に乗りながら信号待ちをしていると隣に並んだ中高年の欧州人男性がこちらに顔を向けて挨拶をしてきた。 こちらも挨拶を返すと国籍を聞いてきたので日本人であると伝えると、ちょっと話したい事があると言う。 あやしくなりはべりぬ、と心の中で思いながらも自転車に乗ったまま横に並んだ。 するとその男性は肩から提げていた鞄からパンフレットを取り出して差し出した。表には、いつか不安が止む日は来るのでしょうか、という文句と悲しみにくれる女性の横顔の絵があり、ひっくり返して裏を見るとやはり左下に「JW」の文字ロゴがある。 Jehovah's Witnesses、エホバの証人である。 その男はパンフレットにあるリンクからウェブサイトにいける、日本語版もあるから是非見てくれと言う。 私はありがとうと述べてそのパンフレットをジャケットの内ポケットにしまい、別れを告げて去った。 エホバの証人と言えば今まで三回ほど寮の郵便受けにパンフレットや冊子が入っていたことがある。 それらのパンフレットや冊子は何と日本語版であった。 同じ寮に住むスペイン人留学生のもとにもやはりスペイン語版が送られてきたらしい。 それらの印刷物は郵便で送られたものではなく、直接寮の郵便受けに投函されたものである。 ドイツ語版は送られてこないことから、海外からの留学生を標的にしていることがわかる。 各寮の郵便受けにはその棟に住む学生の名簿が貼られているのでその中から外国人の名を探し当ててその国に対応した言語の印刷物を入れているのだろうか。

ついに新品マットレス導入

かねてからの懸念事項であった「 形状記憶マットレス問題 」 は遂に新品マットレスの購入により、最終的不可逆的に解決した。 路面電車に乗って家具量販店に向かい、家具量販店の近くに「Dänisches Bettenlager」という名の寝具店を発見し、 そこに入る。 店の中を少し進むと大きい鉄製かごの中にビニール包装に入った圧縮マットレスがなんと25ユーロで売られている。 安物買いの銭失いという言葉が頭に浮かんだがあと8ヶ月ほどで帰国するのだから安物でよかろうと思いそれを買った。 家に担いで帰り、早速ベッドに設置した。 ものすごく硬い。素晴らしい。高反発マットレスである。 古き良き日本の布団派である私には硬めのマットレスが調度良い。 とはいっても勿論布団には敵わないが。 かくして形状記憶マットレス問題はついに最終的不可逆的に解決したのである。

ねずみ

田舎から出てきて東京にて独り暮らしをしている学生同志諸君はやはりもれなくゴキ ブリと同棲されていることと思う。 私もそんな一学生として東京ではゴキブリと同棲していた。 奴らはカサカサと動き回り、たまに飛び回り、 家賃は一銭も払わない。 ずっと隠れていてくれれば良いものを、 たまにその気味の悪い姿を私の前に現しては例のごとくまた影に引 っ込む。 かと思えば この記事 でも述べたように風呂上がりに奇襲を仕掛けて くることもある。 そんな憎きゴキブリであるが幸いなことにドイツにはいないようだ 。 しかしその代わりにまた別の同居者がある。 ネズミ。 先日台所の戸棚を開けるとパンの透明ポリ袋に穴が空いていた。 中のパンを見るとかじられている。 人間に寄生しているのに人間を馬鹿にしているアリエッティ程には嫌うべき存在ではないが、いかんせんこいつ等のせいで何か病気を貰ったらたまったものではない。 早速ホームセンターにてネズミ取りを探した。 しかし置いてあったのはネズミを挟み込んで殺す仕掛けのものであ った。 さすがに殺すには及ばないと考えた私は生け捕る罠の作成を思案し ているところである。

ドイツの薬酒「Klosterfrau Melissengeist」

風邪の初期症状が出てきた。これは忌忌しき事態である。今早急に適切な処置を施さなくては二日後には深刻な状況に陥るだろう。 来週の水曜日に期末試験を控えているので、ここでこの風邪に早期決戦を仕掛けなくてはならない。 以上の事情に鑑み、私はここドイツで盛んであるという薬草を使用した自然療法を行うことにした。具体的には、ハーブティーと薬酒の服用である。 まず手始めに本日「Klosterfrau Melissengeist」と呼ばれる薬酒を入手した。 13種類の薬草が入った、アルコール度数79%の薬酒である。 付属のプラスチックコップの線に従って、10ml入れて水を加える。 そして一気に飲んだ。 味は悪い。しかし、楽しむ為の酒で無しに病気を撃退する酒としては十分の味である。 すこし熱い感覚が喉にもたらされ、如何にも良く効きそうな感じだ。 さらにその薬酒に加えてハーブティーも飲んだ。 はたしてこの作戦は成功するのか。風邪が本格的な活動を開始する前に撃退することができるのか。はらはらドキドキである。

形状記憶マットレス問題

ドイツ留学中の私は今、学生寮に住んでいる。 もともとアメリカ軍の施設であったところを改修して学生寮にしたらしく、似た様な建物が6つほど、鉄の柵に囲まれた敷地に建っている。 そしてこれと同じような場所がハイデルベルクの南にはいくつ並んでいる。それら元アメリカ軍施設はどうやら今は誰も使っていないようだ。 ハイデルベルクは学生の数に対して学生寮の数が足りていないらしい。なのであるからそれらを全部学生寮にしてしまえば良さそうなものである。 さて、寮は家具付きである。部屋には机、椅子、そしてベッドが備えてあった。 今回はそのベッドのマットレスについての記事である。 サイズは横90センチ縦200センチの一般的なシングルベッドマットレス。 これがかなりの年代物のようで、薄汚れ黄ばんでいた。そして寝心地が悪い。 いまはやりの低反発なのかどうかわからないが、沈んだところが戻ってこない。 腰のあたりがずっとへっこんだままである。形状記憶マットレスである。困った。 まあ、裏返せばよかろうと裏返してみると、やはり裏面も薄汚れ黄ばんでいる。しかし幸いなことに裏面は平らであった。その上にシーツを被せて寝てみる。 次の日起きてみるとやはり形状記憶されていた。 元来私は布団派である。硬いところで寝るのが好きなのである。去年の記事「 花の都大東京大脱出作戦 」ならびに「 引越しについての反省 」で述べたように、床で寝るのは硬すぎるので御免だが、それでも今寝ている形状記憶マットレスよりかはいくらかましかもしれないと考えてしまう。 というのも、現在の形状記憶マットレスも引越しの時にやった寝袋での床寝もあまり寝た気がしないという点では同じであるが、前者と違い後者では寝付きと寝起きのさわやかさという点では問題がなかったからである。 できれば布団を手に入れたいが、ここでは手に入らない。なので何か似た様な形状の薄手のマットレスを手に入れてそれを代わりとしたい。 さあ、この形状記憶マットレス問題は解決するのかどうか。今後の行方が気になる所である。

私の書写教育

小学校での習字の時間を思い出す。 先生が「墨をたっぷりとつけましょう」と言うものであるから、その言葉通りたっぷりと筆の毛全体に墨を黒々と吸わせた。「力強く書きましょう」とも言うものであるから真っ白な半紙に筆を押し付けて線を可能な限り太く引いた。べっちょりと墨の運河をつくりそれでも破けない半紙の丈夫さに感心しながらも、なぜお手本のようにはならないのかは考えなかった。 書写の時間では、文章の書き写しが行われた。所定の文を原稿用紙にひたすら書き写すのである。 当時私はその訓練を素早く文字を書き写す技能向上の為の訓練と心得ていたので、兎にも角にもそのつまらない作業を終わらせたい一心で、クラス最速を目指して速度のことのみ考えて書き写していた。 結果、私の字は殴り書きのようになり、書写教育は失敗した。 原稿用紙などは枠があるので良い。しかし例えば色紙などなんの基準点のない真っ白なところへ何かを書こうものなら、悲惨な状況になる。 黒板に文字を書かせれば、斜めに下がってゆくか、もしくは上がってゆく。手紙の宛名書きでの縦書きも右か左にずれてゆく。それが為に大学への願書は三枚ほど封筒を台無しにしたところであきらめ、定規を使った。 この現状に鑑み、今まで文字を美しく書くということに目を向けていなかったのを改め、丁寧に美しい文字を書くことを心がけようと思う。